チベットの漫画と絵 Tibetan cartoon

蔵西のチベット漫画 制作雑記

チベットの漫画を描いている蔵西の日々制作雑記やお知らせ

来週半ばにはネーム仕上げる…と書いておく

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通常、キャラ表・プロット・ミニネーム・ネーム…と制作は進んでいくのだろうけれど、、、
 
進んでない。
 
 進ませたいのは山々なのだが。
 
コミティア100が終わった後、
なぜか ほわぁ~っとしてしまっている。
 
 机に向かっても、くりくりとキャラをいじったり 
プロットを考えては 途中放置。
 
  考え抜く根気が… …!
 
 
なかなか、すぱっといかない。
 
もっと肩の力を抜いて、漫画ならでは表現にしよう とか、
 
でも 描き込みはぎっちりやるほうが良さそうだ、とか、
 
プロットを強くしないと、後から いくらネーム描いても砂上の楼閣、、とか、とか。
 
 
 あと…漫画とは 違うかもなのだが、
アートをやっている時から ほのかに感じていた、
『自分』 というものにちょこっと 違和感が。
 
「 私(自分)を見て 」って ちょっと苦手。 実際の人でも 作品でも。 エゴっていうのか。
 
「 私(自分)の作品を見て 」 は 楽しい。
 
なので、私も 「 自分の作品を見て 」もらえると 嬉しい。
 
 
 しかし、、
 コミティアとか ピクシブに参加してるうち
もしかしたら、私のは 両者の違いが紙一重かも、という気が。イメージ 2
うーん。。。
 
 いいものを作りたいとは 常に常に思っている。
 
近代の芸術表現は 自分の思いを伝えるものがメインだ。
ベートーべンなどそうだったとか。 
(そうか、だから共感しやすいのか。)
パイプオルガンをちょうど聞きに行ったら、解説して下さった。
それまでのバッハとかの音楽は基本、
神様への捧げ物で、
聖書の言葉を 皆さんに伝えるもので、
現代とは違ったんです、と。
  わぁ! 物知りになったよ!
 
 
この2週間、
いくつか演奏会や展覧会にも行ってみた。
で。
 いいものはいいじゃんーーと。。。
 
 
 
イメージ 3
 
 
もともとはエゴである「自分」が込められていても、
何か、無我というか、
普遍的な、真理ともいえるもののある作品、
そこには 「作品」 しかない。
 
どうやったらそんなの出来るんだろ。
 
 
 
まぁ…
 
まずは、自分が読みたいと思える漫画を
じっくり 作ろうーーー。
 
 
 
    ↑ 西チベットの壁画 ♪
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