チベットの漫画と絵 Tibetan cartoon

蔵西のチベット漫画 制作雑記

チベットの漫画を描いている蔵西の日々制作雑記やお知らせ

ふぅ。上海のアジア・アート展や スピティや 「エヴァンゲリオン」で思ったこと。。

 
☆ 友人・親戚の娘さんの 個展や2人展を 3つはしご。
 
☆ 「安野光雅の絵本展」 見に行った。
 
☆ (一時代築いたものは見ておこう、と今頃) 「新世紀 エヴァンゲリオン」 見始めた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 西チベット・スピティに行く前に、
上海でのアジア・アート展に参加してきたわけですが、
 
本来はアジア・アート展が主で、
スピティ旅は、従のはずが
久しぶりのチベット旅!に浮かれて、すっかり逆転してしまい。
 
 
しかし。 
 上海は、中国は、 うわさ通り 発展・活況という言葉が似つかわしかった。
人が、街が元気である。
それでいて、昔のように粗野 (失礼)ではない。
 
昔は、ぼやっと歩いていると、たびたび
「カーッ、ペッ ペッ!」と、
いきなり、何やらばっちそうなもんとか、
歩きながら食べてるひまわりの種の殻とか
口から吐き出した物体が、
あたしの足やズボンにひっかかりそうになり、
思わず飛びのいたものだが。
 
今回は、「カーッ ペッ!」は
1~2回しか聞かなかった。
 
建築ラッシュでバブルとも言えるらしいが、
うまくお金が回っている印象だ。
上海という都会だからだろうけれども、
小奇麗でスマートだ。 品さえ感じた。
恐ろしい。
すごいぞ中国。
 
( とはいえ、上海にいる間、便利でしょっちゅう乗っていた地下鉄で、
先日240名けがの事故が…。 )
 
 
アジア・アート展では、
むっちゃ はぶりの良い、
中国人アーティストのかたのスタジオなども見学させて頂いた。
  半端なかった。
旧紡績工場跡を改造したスタジオで、
体育館くらいの大きさがある。
戦争前の建物を改造しているので、建物自体がアンティークだ。
そこを1人で使っている。
まぁ、村上隆さんや草間弥生さんを買っているようなアーティストさんだったし、
中国の中でも相当な人なんだろうな。。。
 
 
日本で 絵、出版、アート 等 をやっていくのは、
前から大変だったが、
この長い不況、震災後の下向きベクトルで
更に困難だ。
 
スピティで、ドイツ人( 美人だったな。…余談 )と仕事の話になり、
 
美人ドイツ人 「 へぇ、絵の仕事してるの? どお?」
あたし  「…うー 、うまくいってない。 あたしの絵の仕事は、カプット (ドイツ語で壊れてるの意 ) してる。」
美ド   「 ? どういうこと?」
あたし  「 もはや 誰も、あたしの絵を 買ってくれないんだ。 」
美ド   「 プッ ( 笑 )。」
 
つたない会話の中で、ほのかにウケたのは嬉しかったけれど、
そうじゃないんだ、本当に言いたかったことは。
 
あたしの作品が、あたしの作る物語が、
人がお金を払ってみよう、と思って下さる程のものではない、ということ。
一生懸命作っているつもりでも、
そんなものしか生み出せない せつなさ、焦り。
 
人の評価を気にしてたり、それを基準にしたりは していない。
 
でも、誰かに認めてもらいたい、という
根源的な欲求はある。
だから、小さくても賞に入ったり、選考に残ると、飛び上がるほど嬉しい。
丸を頂けたような。
 
( しかし、気を付けなくてはいけない。
認めてもらいたいのは、あたしの存在ではなく、あたしの作品。
あたしを見て、ではなく、あたしの作品を見て下さい。。。だ。
ほんと、気を付けないと!
作品を否定されると、自分の全人格が否定されたような気持ちになり、凹みまくる…のは、
ここの切り替えが、まだちゃんと出来てないんだろうなぁーー。)
 
基準は、
自分なりの納得のいく作品が
丁寧にしっかり作れているか 否か、だ。
 
 
お金は、やっかいで恥ずかしくて、でも、とても大切なもの。
自分の作品を見て下さったかたが、
見た甲斐、読んだ甲斐があったなぁ、と思って下さるかどうか。
そのバロメーターのひとつに、
“身銭を切る" お金を払って下さるという行為があると感じる。
あたしだって、本当に気に入ったもの、これは手に入れたい、と思うものしか買わなくなった。
昔は気軽にあれこれ買ってたけど、
余裕ないし、もう部屋はスペース無いし、結構ものが無くてもやってけるとわかったし。
 
 
 
村上春樹さんが、書いていた。
「物語を作ることは、自分の“部屋”を作ることと似ている。
そこに人を呼ぶ。
そして相手がそこを気に入って、なじみ、自然に受け入れてくれることで、
作者である自分自身も救われる。
なぜなら、部屋という媒介を通して、何かを共有できたから。
ものことを分かち合い、力を互いに与え合えることになるから。
僕は、僕自身の“部屋”を少しずつこしらえていった。
自分にとって落ち着ける、居心地のよい場所を作り上げたかった。
自分を救うために。
そして それがほかの人にとっても 
落ち着ける居心地のよい場所になればいいと思った。」
 
 
ううう……
書き写したり、語るのは簡単だが、
それを作品に反映できるかといったら…、、、
あーー---ー。
理屈をぐちゃぐちゃこねてないで、
一本でも多く描画したら、どうだい…自分。。。
 
あっ、友人たちの個展や「エヴァンゲリオン」で思ったこと書くには、
ここまでの文章が長すぎた。 
後日。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★ にほんブログ村 にランキング参加しています。予想以上に励みになってます。 

もしも、↓下記の文字部分のどれかを ぽちっとクリックして下さいましたらば、とても嬉しいです。★

[https://travel.blogmura.com/asiatravel/ ]

[https://comic.blogmura.com/comic_work/ ]

[https://art.blogmura.com/ ]