チベットの漫画と絵 Tibetan cartoon

蔵西のチベット漫画 制作雑記

チベットの漫画を描いている蔵西の日々制作雑記やお知らせ

左手の傷あと(2011年も去るので…ちょっと語ってみた)

「甘いんですよ、何もかも。」
1年半ほど前、作品を持ち込んだ 何件めかの出版社で言われた言葉だ。
 
それまでも、どこでも 良い感触はなかった。
厳しい批評が地層のように お腹にたまっていた。
傷ついた内心など見せないよう注意し、笑顔で退出し、次の出版社へ向かう。
 
無理して履いているハイヒールがよろめく。
気が急いたのだ。 
気が付くと、H駅近くの坂で転んでいた。
誰が見ている訳でもないのに 恥ずかしい。
何もなかったかのように さっと立ち上がる。
左手が痛い。
見ると、手の甲がざっくりと裂け、傷口から赤い血がわきおこり、
初夏のアスファルトにぽたりぽたりとしみを作っていた。
まるで今の私をあざ笑っているかのようだ。
 
いや、そう思うのも傲慢なものだ。
血をティッシュでぬぐい、砂の付いた傷口をなめてきれいにする。
 
クモノカ。 カッコツケルナ。
自分が好きで勝手にやっていることなのだ。
何しているんだ。  思い上がるな。
 
涙がこぼれた。
何に?  編集者の言葉に?  甘い自分に?  自分の能力の無さに?
はたから見れば 馬鹿馬鹿しく映るだろう。
 
 
ぼんやりした子どもだったが、 いつも絵を描いていて、
描いていれば楽しかった。
絵を描く暮らしに憧れ、美術大学へ進学し、グラフィックデザインを専攻した。
 
日本全国からの年齢も経歴も雑多な
 アートが生活の中心の人たちに圧倒され、
工房にこもって制作した。
課題はきつかったが、美術三昧の美大生活はそれなりに面白かった。
 
女友達と2人での卒業旅行の行き先は中国と チベットを選んだ。
きっかけは、
「日本人なんだから、最初に行く外国はアジアよね!」 という、
理屈にもならない、たわいもないものだった。
 
そしてヒマラヤを越え、
チベットの荒野と 黒いような蒼空の下に立った時、
すとん!
「ここだ。 ここに又 来たい。  いや、来るだろう。」
そう感じたのは、 薄い空気のせいだけではなかったと思う。
 
チベット旅に出るため根回しをし
ほぼ毎年、自分のわずかな稼ぎを全投入して 
チベットのあちこちを1人旅した。
帰国しては絵を描き、個展をした。
友人たちの大多数は グラフィックデザイナーになって企業に勤めたり、
独立したりしていったが、
 相変わらずわたしは売れない絵を描いていた。
前からアート界の状況は厳しかったが、この頃はさらに厳しい。
それでも絵は描き続けていた。  何とかなってはいた。
そんな毎日に満足していた。
本当に、満足していたのだ。  多分。
 
ところが 2年半前の春の日、 衝動が訪れた。
何が起きたのか 今もわからない。
突然、ふつふつと 物語の作品を作りたくて 押さえきれなくなったのだ。
止められなった。
 
今までの作品と違うのは、
ストーリーや 時間、心理、変化、関係性…など
物事の 「動き」 を 表現しやすいという点だ。
 
ずっと1枚絵ばかり描いていたので、制作に慣れなくて難儀した。
しかしどうしても作りたい、作ってしまう。
無我夢中だった。
なぜだろう?
その訳のわからなさは、チベットに すとん、ときた時に似ていた。
いつの間にか、心の奥深くに食い込んでいた。
描く。  
ほんっと、わたしって馬鹿だなぁ、、訳わからん…、と つぶやきながら。
 
わかっているのは、
時間が無いこと。 私の残りの時間。
焦る。
美大時代の友人も、「残り時間」 を考えるようになったと言う。
あとどのくらい、同じように手が動くだろう。
怖くなる。
 
 だが、左手の甲を怪我してからは、
情熱に任せて がむしゃらに制作するのはやめた。
 
1枚絵を描いている時は、私は私の国の王様だった。
自分の表現したいものを ただ追求していれば、とりあえずは良かった。
しかし、本、物語の作品はそうはいかなかったのだ。
 
読者に伝わるだろうか、
届いて欲しい、どうしたらいいだろうかと 考え工夫する。
独りよがりの王様ではいられない。
以前 絵本を出版した時には、気が付いていなかった。
(今から思うと申し訳ない…)。
左手の甲を怪我してから気が付いたのだ。
 
描き続ける。 うまくいかない。
辛い。 でも諦めない。
諦めることの方が簡単だ。
自分の中の価値判断で作品を冷静にみる。
出来るのは、 諦めずに続けることだけ。
今の日本で絵を描き続けていける 有難さを感じながら。
 
だから 毎日、コピー機能のボタンを押したように、
食事を作り、洗濯機を回し、生協で買い物をし、
そして 制作を続ける。
毎日は重なり、季節は廻り、1歳また年を取り、前よりもすぐに眠くなるようになった。
何かを残したいとかの気持ちはなく、それどころか、一緒に消えてくれたらとも思う。
 
当たり前の日常の営みのひとつに  絵を描くことはある。
ただそれだけのことなんだろう。
 
左手の甲の傷跡は今も  うっすらと残る。
その後、あの苦言を呈してくれた出版社とも 少しだけ縁も出来た。
 
傷跡を眼にするたび、心がしん、となる。
辛かったあの日が蘇る。
甘えはまだ抜けていないと感じる。 
ワスレルナ ワタシハオロカダ オゴルナ でもヒクツニナルナ。
 
今では、この傷跡が消えなければ良い、と思う。 
本当に。
 
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